蝶々

私たちは見守られている

10代の頃から20代直前まで、蝶々がそばに寄って来ることに気づくことが多くなった。私が試験前でナーバスになっている時や気分が落ち込んでいる時など、1匹の蝶々(大体アゲハ蝶が多かった)が、目の前で10秒ほど留まるように近づいてきたり、授業中に学校の教室から私の目の前をフラ〜っと飛びすぎたりすることもあった。

その頃は、霊的なことは全く無関心だったが、ある日、初めて地元から遠く離れたところまで「霊能者」に会う機会があり、電車で数時間かけてたどり着き、私の近くに飛来する蝶々が、何か意味があるのかどうか など尋ねてみた。その方はコクリと頷き、私を護ってくれている存在だということを教えてくれ、ご先祖様か亡くなった身内の誰かなのだろうと温かい感謝の気持ちが湧いてきた。そして、帰路に着く際、ホームから電車が出発する1分間ほど、また「アゲハ蝶」が私の座席の窓側にピタッと寄り添ってしばらく追いかけてくれた光景は、非常に忘れられないものとなった。

その後、私が社会人になり、この世は目に見えていること以外にもっと重要なことがあるという体験が多くなり、霊的なことを探究していくにつれ、アゲハ蝶との出会いは減っていった。が、今度は自分にとって意味のある数字を連続して見たり、シンクロニシティと呼ばれる体験や夢でのメッセージが多くなった。蝶々の存在は私にとって、「たとえどんな辛い状況で孤独を感じる状況でも、お前は一人ではない。」という意義を伝えてくれる大切なメッセンジャーだったのだろう。スピリチュアルなサイトでは、蝶々はお盆やお彼岸などの御墓参りの墓石周辺に飛んでいる姿を見かけることもあり、それはご先祖様が、あの世から蝶々の体を借りて帰ってきていると紹介していることもあるそうだが、あながち間違いではないと思う。

私たちには、楽しい時も辛い時も、傍にいて見護ってくれる存在(守護天使や守護霊と呼ばれる)がおり、(たとえ私たちが目に見えない存在を信じられなくても)過保護にせず、束縛もせず、ただ忍耐と深い愛を持って見守ってくれているということが、たくさんの不思議な体験を通して実感した。

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